よきサマリア人のたとえ

〜 オイリュトミー療法の誕生とシュタイナー学校 〜

2021年の今年、オイリュトミー療法が誕生して100年になります。オイリュトミー療法は実際には、どのように始まったのでしょうか。その背景はシュタイナー学校の設立と結びついています。

1919年、第一次世界大戦の戦禍の癒えない時期、そして第二次世界大戦へと世界が向かっている、その年にドイツのシュトットガルトに最初のシュタイナー学校が設立されました。

そこで働き始めたオイリュトミー教師は、ルドルフ・シュタイナーに学んだ、エリザベート・ドルフス・バウマンという24歳の若い女性です。エリザベートはその時、最初で唯一のオイリュトミー教員でした。

いくつものクラスでオイリュトミーの授業をし、それに加えて、支援の必要な子どもたちのクラスでも教えていました。そこで、授業を行った経験から、彼女は、障害を持った子どもたちにオイリュトミーが治癒的な作用を持っていることを感じ取りました。

そして、ルドルフ・シュタイナーに、治療的なオイリュトミーを指導してくれるよう願ったのです。その講義は1921年になされました。医師に向けての講義と並行して行われたのでした。「オイリュトミー療法講義」全集版315として出版されています。

この講義中に実演しているオイリュトミストの一人がこのエリザベートです。オイリュトミーはルドルフ・シュタイナーによってシュタイナー学校での必修科目とされ、またその最初期から、治癒的な働きを持つオイリュトミー療法は学校で実践されて来たのです。


彼女の活動はよきサマリア人にたとえられる。
癒しとなりたい、助けたい、苦境にある人に
手を差し伸べたい、という意志に満ちていた。

彼女は、ルドルフ・シュタイナーに、治療的芸術の可能性を開きたい、
ということを伝え、与えられた。当時は第一次世界大戦後であり、
その爪痕に苦しむ数百の子どもたちが待っていた。
             マリーシュタイナー

エリザベートはその後、シュタイナー学校でオイリュトミー療法をおこなってゆきました。「オイリュトミー療法講義」の中で最初に取り上げられる症例が落ち着きを失ってしまう子どもに対しての治癒的オイリュトミーであることの背景が理解できます。  

「左が最初ー右がその後くるー」

と手足を動かします。静かにできない子どもは自分の心と体を自分で自分のものとして制御できないということなのです。

その後に6講まで講義がなされ、人間の身体とオイリュトミーのつながりが全体的に解き明かされてゆきます。オイリュトミー療法とシュタイナー学校はこのように深い結びつきを持っています。ともにアントロポゾフィー、シュタイナーの哲学という泉から生まれたものです。

  

わたしたちオイリュトミー療法士たちはこのエリザベートが願ったと同じように よきサマリア人のたとえを胸に、子どもたちだけに限らず、すべての人たち、世界が、健やかであるために、貢献したい、苦しみの中にいる人に手を差し伸べたい、と思って日々働いています。

                      オイリュトミー療法士 猿谷利加

        

注)よきサマリア人のたとえ 新約聖書 ルカによる福音書10章25節から37節
イエスが語った隣人愛と永遠の命に関するたとえの話

参考)オイリュトミー療法講義 ルドルフ・シュタイナー 石川公子・中谷三恵子・金子由美子 共訳 涼風書林

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